はるちゃん /1973年3月生まれ
千葉の田舎に生まれた
自然が大好きだった子ども時代
自然に囲まれ、周りはほとんど農家で近所づきあいも盛んなところ
虫もたくさんいて、カブトムシ、せみ、バッタ、かまきり、トンボ、ミミズなど
虫取りを楽しんだ。
町を歩けば、知り合いばかり。
父方の祖母、父、母、年子の弟と4歳下の弟の6人暮らしだった。
跡取りの意識が強かったころだった。
父は、私が生まれた時に、「女」ということで、がっかりしていた。
それが、ショックだったとボソッと母がいつか言っていた。
元気に良く泣く赤ちゃんで、母乳で育った。
年子の弟がいたので、小さい頃はおばあちゃんが主に私を育ててくれていたようだ。
明るくて、元気なおばあちゃんが大好きだった。
幼少期から高校時代まで
幼稚園の頃は、良く泣いていたので、母が先生に相談したこともある。
「弱くありません」と言われたようだ。
皆が外に遊びに行っているので、「一緒に外に行こう」と、声をかけられても「部屋の中で遊ぶ!!」と自分の意志を曲げない強さがあった。
おてんばで、よく近所の男の子たちと身体を動かして遊んでいた。
小学校では、おとなしく、自分の気持ちを言えない子だった。
授業中、先生に指されて皆の前で発表するなんてなったら、泣き出してしまうほど。
皆みたいに自分を出して話したいと憧れていた。
家では、よくしゃべるのに、学校では全然違う生粋の内弁慶だった。
器械体操部で、こつこつ練習して技が出来ることが楽しかった。
習い事は習字が一番好きで、長く続けました。
静かで、もくもくと書くのが好きだった。
中学校では、変わりたいと思っていた気持ちが行動に少しずつ現れて、皆と普通にしゃべれるようになった。
高校では、新体操部に入り、部活三昧の日々。
部活で疲れて、授業中に寝るという部活中心の生活(笑)
泣きながら、厳しい練習に耐えたことも。
努力を積み重ねることで、どんどん成長していくことが嬉しかった。
やるなら、とことんやりたいと思って入った部活。
3年間打ち込んだ経験が生きる上で大きな自信になった。
体重のコントロールは、とことんやってぶっ倒れたこともある。
決めたことはやり通すような、やりすぎるところもあった。
母の言葉で看護師を目指す
母は特に、女だからという基準で物事を捉えていた。
女なんだから。
女なのに。
って、言葉は何度聞かされたことだろう。
女はこれから手に職と耳にたこが出来るくらい言われ、思いついた看護師を目指す。
看護学校で出会った親友が、摂食障害だった。
私と一緒にご飯を食べた時に「久しぶりに、ご飯粒を食べた」と話してくれた。
私と一緒に食事をして、ほっとしたよう。
衝撃を受けた。
ごはんなんて、食べられなくなるってことが考えられなかったから。
弱音が吐けない。
ありのままの自分では受け入れてもらえない環境で、周りの人に気を遣って生きてきた親友。
彼女の育ってきた環境を思った時に、子どもの育ちに心寄せられた。
私も、内気でなかなか自分から皆の中に入れなかった、自分の気持ちをなかなか伝えられなかったので、もし自分もつまずいていたら、そのような環境に置かれたらと考えると、他人ごとには思えなかった。
その時に、子ども達の関わる仕事をしようと思った。
子どもに関わる仕事がしたく大学へ進学する
看護学校を卒業後、病院でアルバイトをしながら、大学受験して大学に進学。
児童学科で子どものことを学んだ。
カウンセリングは共感体質の私には合わず、中川正文先生率いる京都女子大子どもの劇場で世界最大規模のスクリーンの影絵の公演や人形劇で保育園をまわる。
また、斎藤公子さんの保育に感銘を受ける。
望んで働きだした子ども病院で看護師として5年間働く。
現場では、たくさんの薬を使ったり、病気でも子ども達がなかなか楽しめるような環境が乏しかった。
入院していても子どもらしく遊べるサポートをしたいと色々大学で学んだことを活かしたいと思っていたが、激務で絵本1つ読んであげられず、泣きつかれて寝ている子どもの寝顔をみてやりきれなかった。
その思いが今でも残る。
理想と現実のギャップに、心身共に疲れて退職。
結婚して、保育士に転身。
結婚、流産。これから伝えていきたい想い
2回の流産を経験。
病院の検査で不育症と診断される。
妊娠中は、出血しやすく、薬を飲みながら安静を保ちつつ、無事に2人の子どもを出産した。
妊娠と出産を通して、【いのちの奇跡】を教えてもらったように思う。
子どもも生まれてからは、パートで保育士を続けてきている。
現在は、夫と中学生の男の子と小学生の女の子の4人家族。
賑やかに暮らしている。
女性の自立をかかげて、1人頑張ることに疲れ、良き妻、母として家族を支える人生には物足りなくなり、死ぬまでにやりたいことをやろう!と思い、表現を通して子ども達を笑顔にする仕事をするため歩き出そうとしている。
天使の記憶を持つヒーリングシンガー久美子さんのセッションで、「あなたは、マザー。
あなたの存在を喜んでいる魂がたくさんいる。今世は、諦めないで!」と、言われた言葉が胸に刻まれ、一度きりの人生を楽しむと決めて生きている。
大好きだったおばあちゃん。
夫に早く旅立たれ、女で一つで必死に働いてきたおばあちゃん。
子どもも、5人産んで2人は病気で小さい頃に亡くなり、1人は若い頃交通事故で亡くした。本当に計り知れない悲しみや苦労をしてきたおばあちゃん、どんな時も「大丈夫!」と言って、温かく見守ってくれた。
いつも明るくて、元気で愛いっぱいのおばあちゃんも天国で応援してくれているって思う。
私は、障害があったり、病気だったり、苦手なことがたくさんあっても、みんなが違いを受け止めて、その違いを楽しみながら、子ども達が生きていて楽しい、嬉しいと思えるそんな世界を表現を通して伝えていきたい!
あなたがいるだけでいい♡
そんな世界を大切にしたい。
わたしが出来ることを精一杯やっていきます。